どの授業も、ソクラティックメソッドで、教授が学生にあてて、教授と学生、学生同士で活発に議論し、非常にインタラクティブです。
最初、法的な知識を持たない一年生が、いきなりソクラティックメソッドで議論することに対して、違和感を覚えました。法的バックグラウンドが何もないので、最初は学生の議論が法的議論になっていないと感じ、日本の法学教育のように、一方的な講義でひととおり法学というものを学んでから、3-4年生のゼミで議論したほうがよいのではないかと思いましたが、2か月くらいすると、しっかりした議論になってくるので驚きです。教授も、学生にあてながら、学生同士の議論を促します。
あらかじめシラバスやイントラネット等で、教科書で読んでくるべき量が指示されていますが、毎回100頁ほど読んでくるようアサインされます。大方の学生はしっかり読んできて、議論に参加するのです。教科書は、日本の法律の教科書よりもずっと分厚いもので、百科事典、広辞苑並の分厚さです。そのため値段が140ドルくらいするので、大部分の学生は、中古本を買って使っています(中古本の場合、先輩による書き込みもありますが、書き込みによっては重要な箇所がハイライトされているのでよいかもしれません)。
法学部というと、日本でも、単に条文を覚えるのが勉強と誤解されがちなのですが、日本の法学教育の場合は、法律行為、条文の解釈や学説(多数説、有力説、少数説)、主な判例等を学びます。例えば、憲法学では、基本的人権と統治について学び、各種権利・義務とそのコンセプト、判例を学びます。したがって、日本の法学教育の場合、学説や判例を学び、試験でもそれらを覚えることが求められます。日本のほか、ヨーロッパの国等、大陸法の国は大方このような感じで法学を学んでいると思います。
米国は、判例の積み上げにより法学が発展してきたコモン・ローの国なので、教科書には、とにかくケース(事案、判例)ばかりが書いてあります。事案を通して、原理や基準を学びます。イェール・ロースクールでは、とにかく教科書に書いてある事案を読み込み、自分の考えを述べたり、主張、説を打ち立てたりすることが求められます。いわゆる学説などは学びません。いかに、一貫した議論を打ち立て、正当化するかに力点が置かれている気がします。なので、「間違っている」主張というものはないのです。教授も、学生の主張に耳を向け、あらゆる角度から促したり、つっこんだりします。
日本の法学教育を受けた者からするとそれが一見難しく思えますが、米国の国際会議や世界におけるプレゼンスを考えると、これが米国の強みなのだと思いました。
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